EVANGELION: Remembrance

(http://members.tripod.com/toshihiro_nishioka/novels/rem/rem.html)
これは非常に面白い小説ですね。おすすめです。
以下ネタばれを含むので「続きを読む」記法で。
この小説は劇場版の後を扱った話です。劇場版の終盤で綾波レイは「自らの力で、自分自身をイメージできれば、誰もがヒトの形に戻れるわ」と言っていましたが、その話どおり、葛城ミサトら死亡した人物を除き、人々は還ってきており、世界も復興しつつあります。

乱暴にあらすじを書きますと、以下のようになります。
あの「気持ち悪い」以降、結局アスカの病状は劇場版の前に戻ってしまい、外部からの刺激に反応しないようになってしまい、そのままでは肉体の方も限界が来てしまう、ということで、マヤが、リツコが残した技術を用い、本来のアスカの人格の上に、人工的なアスカの人格を作り出したのです。
人工的な人格にとは言っても、相互の人格間に記憶のバイパスを張ったので、作られたアスカの人格(以降「アスカ」)も、本来のアスカの人格も、同一のものになるはず、でした。
しかし、「アスカ」が、アスカの記憶を「思い出して」いく際に、禁じられては居たのですが、シンジはアスカに親切に、尽くしてしまいます。
このため「アスカ」がアスカの記憶を思い出す際に、シンジに好意的に記憶がゆがめられてしまいます。
これにより「アスカ」はシンジに好意を持つようになり、シンジとくっついてめでたしめでたし……というわけには、勿論いきません。
リツコが残した技術にはトラップが含まれており、完全なものではなかったのです。
このため「アスカ」とアスカの人格が入れ替わるようになり、いつか「アスカ」は消えてしまう、ということが判明します。

アスカの方はまだ病状が回復していないので、人格の交代があった時は、また外部からの刺激に反応しなくなってしまいます。

ですが、アスカの中では「アスカ」とアスカの争いが起きていました。

「アスカ」はシンジに好意を持っていたのですが、本来のアスカはシンジを憎んでいたのです。

アスカは「アスカ」にこう言い放ちます。
勝手にシンジが好きだったと自分の記憶を捻じ曲げて、好き勝手やってくれたけど、自分はシンジを恨んでいる。

体が自分のものになったら、いつまでも自分は病気のままで居てやる。シンジは自分のことを見捨てられないだろうから、一生自分の世話をし、人生を棒に振るのだ、と。

「アスカ」は、シンジと結婚の約束をしていたのですが、シンジの人生を台無しにするわけにはいかない、と、ひそかに家を抜け出し、シンジが知らない精神病院へ入院します。
そして「アスカ」から本来のアスカへの、最後の人格交代が起こり、またアスカは物言わぬ状態となってしまいます。

「アスカ」の目論見は、結局は失敗したと言えましょう。
偶然によりアスカはネルフ保安部員に発見され、シンジは介護を猛勉強し、結婚の約束をしたちょうど1年後、自宅へ引き取ったのです。

アスカはそのまま目を覚まさないかと思われましたが、「アスカ」が最後にアスカにかけた催眠術により、アスカは目を覚まします。
当然、アスカはシンジを拒絶しますが、シンジは「諦めない」と言います。
アスカは、「アスカ」とシンジの結婚式の、幸せそうな写真を見て「ちくしょう……」とつぶやきます。

話自体も結構面白いのですが、これはメタ視点が入っていまして、この「アスカ」は、主にLAS作品に登場する、都合よく作られたアスカ、そのものといえましょう。

原作のアスカを離れ、LASをやりたいがために歪められたアスカが、この作品に登場する「アスカ」なのです。

つまり、この作品は自分の欲望のままにアスカのキャラクターを改変するんじゃねえよ馬鹿、あるいは、お前たちはこういうことをしているわけなんだが、気付いてる? と、LAS作家を罵倒あるいは揶揄しているのです。

「いつもマヤさんに注意されてたんだけど・・・。
 おべんと作って持ってったり、手を握ったり、
 ベンチで・・・、座ったり・・・。
 そういうのは、アスカのぼくについての記憶に歪みを与えるって。
 ぼくに都合のいいようなアスカになっちゃうかもしれないって。
 でも、ぼく、やめられなかったんだ・・・」

作中のこの部分はLAS作家の言い分ですね。

「・・・それは、あんたの方よ、シンジにちょっといたずらされたからって、
それまでシンジが好きだったことまで忘れて・・・」
「あんた頭おかしいんじゃないの?
あたしがいつシンジが好きだったってーのよ。
ちゃんと思い出してみなさいよ」
「・・・キスしたときとか・・・」
「よく言うわねー。あんなのただの当てつけじゃないの」
確かに、そうだったかもしれない。
浅間山で助けてもらったときとか・・・」
「別に好きでもなかったでしょ?
助けてもらったのが悔しくて、どうやって借りを返そうか悩んだじゃないの。
忘れたの?」
その通りだった。
「あんたは、ずっと昔からシンジを好きだったっていう物語をでっち上げて、
独りでそれに浸ってるだけじゃないの。
まあ、もうすぐ死ぬんだからそうしたくなる気持ちも分かんなくはないけど、
こっちの迷惑も考えて欲しいわよね」

これは、「アスカは別にシンジのこと好きじゃないだろ」と言う人と、LAS人の言い争いにそっくりです。

あんたは、ずっと昔からシンジを好きだったっていう物語をでっち上げて、独りでそれに浸ってるだけじゃないの。

は、かなりグサリと来ました。

ただ、ここで面白いのは、最初からそうなのか、書いているうちにそうなってしまったのかはわかりませんが、この作品の著者は、間違いなく「アスカ」が好きでしょうがないのです。

人が作った都合のいいアスカは唾棄すべきものと考えているようですが、自分で作ってしまった*1(2009/7/2修正)しかし、著者も一人の LAS 作家であり、他の LAS 作家同様自分が作った「アスカ」は気に入ってしまったという矛盾があるために、いくつか「アスカ」に救いが与えられています。私としてはその辺のジレンマが感じられて面白くてなりません。

「アスカ、前に言ったよね? ぼくと一緒に暮らしてた間に、
 ぼくのこと好きだって思うようになったって」
「うん」
「ぼくもそうなんだ。
 アスカと一緒に暮らすようになって、
 どんどんアスカのことが好きになってったんだ。
 だから、ひとを好きになるのって、
 その人と過ごした時間の積み重ねが大事なんじゃないかな。
 今のアスカは、前のアスカと同じ記憶を持ってたのに、
 ぼくのことを好きになってくれたよね?」
「うん」
「だからさ、ぼくから見たら、
 今のアスカは、前のアスカの可能性のひとつなんだよ。
 アスカの偽物なんかじゃない、本物のアスカの可能性のひとつなんだ」

という、LAS人の叫びも盛り込まれています。
私の「キャラクターを勝手にいじる行為」へのスタンスも、これに近いものがありますね。
エヴァンゲリオン本編でも、「他の人達が僕の心の形を作っているのも、確かなんだ」とありますし、もし現実のアスカがいたところで結局我々は現実のアスカであると、自分では思い込んでいる脳内アスカしか知覚できないのです。
現実のアスカでさえ現実のアスカを自分自身で把握することすらできないのです。何らかのフィルターが必ずかかるのです。
ツンツンアスカもツンデレアスカもデレデレアスカもすべては程度問題で、畢竟人間は自分の脳を通してしか物事を知覚できないのです。
だから色んなアスカが存在するのは仕方ないと言うか、当然のことだと思います。もっとも、あんまりかけ離れるのはどうかと思いますけどね。その場合、アスカやシンジである必要はないのですから。

というわけで、話自体も面白かった上、二次創作を行う上で色々考えさせられました。非常に興味深かったです。

*1:言い過ぎですね。これは自嘲的な感じで