RE-TAKE 細かいところのポイント2

アスカは何で自分のことを「十人並みの容姿だ」なんて言ってるの?

私も最初は「何言ってるんだきみまる!」と思いましたが、実はさほど怪しむに足らない話でした。

アスカが言うようにアスカの容姿は本当に十人並みなのか?

『RE-TAKE』はエヴァンゲリオンの二次創作なので、原作の設定は何らかの断りがない限り、基本的に受け継いでいると考えていいでしょう。
原作九話では、アスカを褒めそやす男子の声や、「あーあー、猫も杓子もアスカ、アスカか」というケンスケのセリフ、大量にラブレターが突っ込まれたアスカの下駄箱という描写があります。
この頃アスカは転校してきたばかりですから、その内面に惚れた、という人はまずいないと見ていいでしょう。
内面を知るには時間がなさ過ぎます。
加えて、内面を知ったとしてもそれに惚れるかは大いに疑問で、トウジも「写真にあの性格はあらへんからなあ」と言っています。
つまりアスカの外見は優れていると言えます。
また『RE-TAKE 2』においてもリツコが「可愛いものね、あの子」と言っています。
アスカの容姿は十人並みではないのです。

では何故アスカはあんなことを?

あの場面で嘘をつく理由はありません。なので、アスカは自分の容姿が十人並みだと思っているのです。
つまり、アスカは自分の外見が優れていることを認識できていないのです。

原作弐拾四話において
「シンクロ率……ゼロ。セカンドチルドレンたる資格無し。もう私がいる理由もないわ。誰も私を見てくれないもの。パパもママも誰も。私が生きてく、理由もないわ」
九話において
「わかってるわ、私はエヴァに乗るしかないのよ」
これらのセリフからわかるように、アスカは自分の存在価値をエヴァの優れたパイロットである、という点のみに見出しています。
「私は14歳にして大学を出ている天才だから存在する価値がある」
「私は容姿が優れているから存在する価値がある」
といったようには自分を認識していないのです。
このため、自分の容姿が十人並みだという発言をしたのです。
でも、その発言の後の「惣流アスカラングレーが世界一の美少女って扱いなのよ」というのは、一部の二次創作作者への皮肉なんですかね。
登場人物の容姿を長々と説明するのはエヴァンゲリオンのファンフィクションに限ったことではないですが、私はしばしばアスカの容姿を延々と肯定的な表現で説明した二次創作に遭遇しました。

アスカが好きな私が引くぐらいのものに。

これは却って冷めてしまうのでいただけません。さらっと上品に纏めたいものです。自戒もこめて。

何故渚カヲルは人間だったのか?

難しいところですが、使徒は17(18)体までという縛りがあったため、シンジが使徒となったことにより、カヲルは使徒ではなくなったのでしょう。
何故使徒の数に縛りがあるか……は、わかりません。原作に忠実であろうとしたため? いやいやいや。だったら、渚カヲル使徒じゃなきゃ、という考え方もありますからね。

何故アダムは消えた? 何故エヴァ初号機の魂は書き換わった? 誰のものに書き換わった?

これらもわっかりません。末葉なので特に深い意味はないのかもしれません。
原作だって意味のない設定は多くありましたからね。

最後のシーン、海から上がってきた少女は誰?

一瞬シンジとアスカの子供かと思いましたがそれはないですね。
他世界の出来事は他世界に影響を及ぼさない、が原則ですから。
これは原作では「自らをイメージできる人は帰ってくる」と言いながらも、誰かが帰ってくるところが描写されなかったので、本当に帰ってくるのか? 自らをイメージできる人なんていなかったのでは? という疑問があったのですが、この世界では帰って来られる人がいたということを表したかっただけで、特にどこの誰というわけではないのだと思います。
あるいはメタファかもしれません。
LCL の海という混沌としてさまざまな可能性を秘めたところ=二次創作の集合から生まれた少女=『RE-TAKE』ということなんですかね。
で、その少女が見たのがちょっとだけ和解できたシンジとアスカ。
10年も積み重なってきた二次創作がついにたどり着いたのがちょっとだけ和解できたシンジとアスカだと。
おお、いい話じゃないですか。

という感じでまとめたところでわりと気が済みました。
さて『RE-TAKE読本』読みますか。