RE-TAKE についてちょっと考えた

『RE-TAKE』は、サークル Studio KIMIGABUCHI きみまる氏による、『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作漫画作品。
2004年8月に第1巻が発行され、以降2004年12月に2巻、2005年8月に3巻、2005年12月には外伝的な0巻が発行され、2006年8月発行の第4巻で完結しました。
以下、ネタバレを含みます。
エヴァンゲリオンの二次創作作品にしばしば見られるストーリーの流れとして、作中の登場人物、主に碇シンジが原作終了の時点などから、その時点の記憶を保持したまま原作のある時点に立ち戻り、その記憶を活かし悲劇を回避する、といったものがあります。こういった作品は『逆行もの』と通称されます。
このいわゆる『逆行もの』のようなストーリー展開をする二次創作は、エヴァンゲリオンを対象としたもの以外ではそう多くは見られません。これは、エヴァンゲリオンが多くのファンの期待を裏切るような形で終了を迎えたためと思われます。エヴァンゲリオンの結末を多少なりとも許容できなかったファンが『逆行もの』の二次創作作品を作ることによって間接的に原作に修正を行い、納得が行く形に作り変えようとするためです。逆の見方をすれば、エヴァンゲリオンはファンにそういった行動を取らせるほど没入度の高い作品であったと言えましょう。
本作『RE-TAKE』もこの『逆行もの』に当たる作品です。
そして、他の多くの二次創作があったからこそ成立した作品でもあります。
それは、4の中盤に登場する「神様」と名乗る少女とアスカとの会話から推測できます。
そこでアスカは

「あいつはサードインパクトを起こしかけて、自分の世界から逃げ出した」
「そして生まれたのが無数の世界」
「シンジにとって気持ちのいい夢の世界」
「例えるならサードインパクト後全員生き返って仲良く暮らす世界」
「誰もシンジを責めることなく いつのまにか復興した第三新東京市で私にベタぼれされてる世界」
「逆に責め抜かれて断罪される世界」
「あいつの心がそれで許しを得て救われるためにつくられた世界」
使徒が出現しない世界」
「あいつの暗い学生生活を補完するための世界」
「誰も死なず誰も傷付かず」
「なぜか私とファーストがあいつを取りあう世界」
「それらは、江戸時代から未来世紀まで無数に舞台が広がり 一つとして同じもののない世界」
「それでいて一つだけ絶対のルールを持つ世界達」
「その全ての世界で私達は必ず出会い」
「例外なく」
「恋に落ちたり傷付けあったり」
「深い関わりを持つことになる」
「どこまでもシンジを中心に構成された世界――」
「それこそが唯一にして絶対の……ルール」

こう言っています。
エヴァンゲリオンの二次創作をある程度以上見た経験がある人は、ここでアスカが挙げた世界とは、いずれかの二次創作作品であるということに気付くと思います。いずれもよく見られる二次創作のパターンです。
となれば、ここでアスカが言うシンジとは二次創作を行った作者のことを指していることになります。それぞれの作者はエヴァンゲリオン本編に納得が行かず、自分が納得の行くように世界=二次創作作品を作ったと指摘しているわけです。
上記のセリフ群の後、アスカはこう続けます。

「全く……お笑い草だわ」
「本当の私達は――」
「ずっとあそこにいるのに」

あそことは原作の最終局面、赤い海のほとりのことです。これはつまり、いくら二次創作作品を作ったところで、これは本編の代替とはなりえないという意味です。
もっとも、『RE-TAKE』では勿論二次創作を否定しているわけではなく*1、「神様」と名乗る少女が「それでもシンジは闘う」「闘うこと自体に意味があることを知ったから」と言い、アスカの言うことは確かだが、その行為は無駄ではないとしています。
この後アスカはシンジだけが悪かった訳ではないことに気付き、シンジの救援に向かい、物語は終わりへ向けて動き出すのですが、『RE-TAKE0』において、アスカは

最後はあんたを含めた人類全てが滅び去り
シンジ一人が生き残る・・・・
それがこの世界の末路
そんな結末を拒絶するシンジが再び世界を再構成する・・・ずっとその繰り返し
誰が仕組んだのかわからないが・・・永遠に繰り返し無限に広がる世界
「ここ」が一回目に構成されたものか数億回目なのか私にはわからないし知る意味もない

と、「以前の」アスカを見て呟いています。
アスカが自分にも非があることを認識するためには数多くの「構成された世界」を経験するだけの時が必要だったということです。これは、『RE-TAKE』が生まれるまでに数多くの二次創作が先行して存在し、それらが『RE-TAKE』が生まれるために不可欠であったことを表わしています。
作品外のことに言及すれば、解釈しようによっては『RE-TAKE』の元になったと思われる、『ぼくのエヴァンゲリオン2』のあとがきにおいてきみまる氏は

入稿終わったらエヴァの小説サイトでも色々探してきみまるの心の補完をしたいと思います

との発言をしています。
さて、アスカの救援と、その後のシンジの決意により循環する世界は終息し、場面は最初の赤い海のほとりへ戻ります。シンジはアスカの首に手を掛けたまま、アスカはシンジの頬に触れたままですが、シンジは相手の首に手を掛けているとは思えないようなキョトンとした表情ですし、アスカも原作のような蔑んだ目をしていません。原作の2人から何らかの変化があったと思われます。
『RE-TAKE』世界のシンジとアスカはお互いを赦し合えたわけですが、この赤い海のほとりのシンジとアスカはそのシンジとアスカとは別です。そして上で述べたように『RE-TAKE』世界で起こったことは本編には影響を与えないはずです。
しかしこの後シンジはアスカから降り、背を向けて座り込みます。アスカもその背後に寄って包帯を外します。やはり、『RE-TAKE』世界においてシンジとアスカが分かり合えたことが、何らかの変化をもたらしたことは間違いなさそうです。
思うに、これは二次創作を行う者としての願い、希望、祈りのようなものなのではないでしょうか。
とは言え、やはり『RE-TAKE』世界のシンジ&アスカは赤い海のほとりにいたシンジ&アスカとは別個の存在ですから与えた影響もごく小さいものにとどまります。その結果、両者が赦し合えたのが、最後のコマの重なった小指1本分だったのでしょう。
明日はいくつか細かいことについて書いていきます。

*1:自己否定になってしまいますし